骨花ブログ(海外TED出演を目指して)

徳重秀樹オフィシャルブログ。海外でTED講演するまでの記録です。

TEDスピーチ文章-日本語下書き1

こんにちは。

このブログでは、海外のTED出演を目指した芸術家の徳重秀樹が、実際に出演するまでを記録していきます。

 

TEDスピーチ文章-日本語下書き1回目

さっそく、まずは日本語で、ざっくりとスピーチを書いてみました。

これをたたき台として推敲していきます。
TEDの会場で聞く気持ちになって、読んでみてください。

 更新:2019-08-04


 (導入)

 

3年前、私はこんなメールを受け取りました。

 

(後ろの画面に写す)

(録音したアンナの声が読み上げる)

Dear Hideki,

 

Your sculptures are beautiful.

 

I wonder, do you take bone donations? 

I am looking for an artist to donate my bones to once I die, to be crafted into artworks.

 

I am not planning to die soon, but one never knows!

 

Warm regards, Anna

 

なんとも不思議なメールです。

アンナという女性からの、死んだら骨をアート作品に使ってほしい、という依頼でした。

 

なぜこんなメールを受け取ることになったのか、これから話してみます。

 


 (骨花紹介)

 

私はアーティストです。

そして、これらが私の作品です。

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何で作られているか、分かりますか?

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これらの花はすべて、動物の骨と毛皮で作られています。

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私は、骨で花を作り、

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写真を撮り、

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そのあと、それらの骨の花を壊して、

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土に埋めて、還します。

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そして、写真のみを作品として残します。

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私はこれらのプロセスを「骨花 Honebana」と名付け、2008年から続けています。

骨とは英語でbones、花はflowersを意味します。

ユリやタンポポアジサイなど、これまでに17種類の花を作ってきました。

 


 (冷凍ネズミのこと)

 

花にする骨は、ラットやマウスのげっ歯類です。

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彼らはペットショップで、爬虫類や猛きん類のエサ用に、凍った状態で売られています。

「冷凍ネズミ」と呼ばれています。

ヘビやフクロウを飼っている人は、凍っている彼らを解凍し、エサとして与えます。

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私はそのすべてを一匹ずつ解剖し、骨をクリーニングし、毛皮も取り出します。

一つの花の作品を作るのに、100匹、多いときには200匹以上のネズミの骨を使います。


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一つ仕上げるのに、数か月かかります。

もっとも時間が掛かるのが、この骨取りの工程です。

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「冷凍ネズミ」は、人の飼うペットのため、ゲージの中で生まれさせられ、育てられ、殺されます。

それは、私たちが住む現代社会の、人工的に管理された自然の象徴に思えました。

彼らの命を、美と生の象徴である花に転換し、「弔い」という行為を芸術的に見つめ直すことを意図しています。

 


 (組み立ての工程)

 

骨は、削ったり折ったりしません。

のちに土に還すため、針金や芯を入れることもありません。

自然の骨のかたちをそのまま生かし、瞬間接着剤のみを使って、実際の花と同じサイズに組み上げていきます。
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骨の種類は、思うより少ないものです。

その組み合わせ方をいろいろ変えることで、動物の身体のフォームを、植物のフォルムに移します。

 

アジサイの花びらは、ラットの肩甲骨の組み合わせでできています。

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キンモクセイはマウスのあごの骨を組み合わせ。

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ホオズキの実は、マウスの頭としっぽと背骨で作り、

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袋は、たくさんの肋骨でできています。

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そして、毛皮はなめして、葉っぱに生まれ変わります。

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 (土に返す工程)

 

4×5インチの大判カメラで撮したら、花は解体します。

木の箱などに納めて見晴らしのいい土手などに行き、丁寧に土に埋めて葬ります。

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「保存すればいいのに」と言われることもありますが、美しさとは「はかなさ」だと思います。

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花は散るから美しい。

だから骨の花を残すことはしません。

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 (きっかけ、タヌキの解体のこと)

 

骨を使いはじめたきっかけは、これです。

(手にとって、タヌキの頭蓋骨を見せる)

これは、タヌキの頭蓋骨です。

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2004年、はじめて動物を解剖したのが、この彼でした。

 

1997年、東京の写真学校を卒業した私は、郷里の鹿児島に帰りました。

そして、養蜂家に弟子入りし、ミツバチを飼っていました。

小さい頃から生き物が好きで、そのままプロの養蜂家として身を立てようかと考えていました。

 

骨に興味をもったのも、その頃です。

「骨の学校」という、中学校の理科の先生が生徒たちに骨格標本の作り方をおしえる本を読みました。

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それはとても興味深く、解剖の仕方がくわしく説明されていて、私も骨を取り出してみたい、とおもわせる本でした。

その中には、解剖の初心者にはタヌキが一番適している、と書かれていました。

中型動物は大きすぎず、小さすぎず、ちょうどいい大きさだからです。

 

しかしそうはいっても、死んだタヌキには、なかなかお目にかかりません。

そんな2004年、スクーターで山道を走っていた早朝、道端に、一匹の野生のタヌキが倒れているのを見つけました。

交通事故にでも遭ったのでしょう。

血は少し出ていましたが、外傷はあまりないようです。

 

おそるおそる、そのタヌキを家に連れて帰りました。

風呂場に横たえ、「骨の学校」を開きます。

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中にはこう書いてあります。「まずお腹に縦に切り込みを入れる」

 

ところが、いざ解剖しようとすると、怖くて素手で触ることも、目を見ることも出来ません。

なにより、そのタヌキが本当に死んでいるかどうかすら分からないことに、ショックを受けました。

目の前には、もう冷たくて、息もしておらず、脈もないタヌキが横たわっています。

しかし、「もしかしたら気絶しているだけではないか」という疑惑が、どうしても消えません。

カミソリで切ったとたん、意識を取り戻し、内臓が出て血まみれのタヌキが部屋中を走り回る。

そんな想像は、悪夢そのものでした。

死んでいると100パーセント確実に確信できなければ、腹を切ることなどできません。

生死の区別という基本的なことさえろくにできない自分に、がくぜんとしました。

 

風呂場で3時間迷いに迷い、もう動かないことを確認した後、勇気を振りしぼって解剖を始めました。

それでも、ゴム手袋をした手は震え、前に進みません。

 

ところが、途中から不思議な感覚に襲われました。

皮をはいだり切ったりして解体をすすめていくと、だんだんと、ふだんスーパーに売られている「鳥のもも肉」とおなじような部位が、目の前に出来てきます。

いつもは、似たものを平気で触ったり、食べたりすらしている。

なのにいまは、素手で触ることすらできない。

この死んだタヌキの肉と「スーパーの鳥のもも肉」、何が違うのか?

 

どちらもおなじ「死んだ動物の肉」だろう。

あたまはそう語りかけてきます。

にもかかわらず、手は拒否する。

手と頭が分離してつながらない。

 

そんな不思議な感覚をいだいたまま、本だけをたよりに、何とか骨を取りだしました。

何時間たったのか、まったく覚えていません。

終わったときには、ただ精根尽き果てていました。

 

解剖の後、大きな鍋に入れて骨を煮ながら、ようやく感覚が戻ったころ、ふと気が付きました。

そういえば、タヌキの喉元に、なにか洗濯機のジャバラの白い排水ホースのようなものがあったな。と。ああ、あれが気管だったのか。

胸には、なにか幕があったな。ああ、あれが横隔膜だったのか。

 

「気管」も「横隔膜」も、言葉は当然知っていました。

知ってるつもりでした。

でも、なにも知らなかったんだ。

 

タヌキもヒトも、同じ哺乳類です。

身体の中のつくりはとても似ています。

私は、自分自身の身体のことを何も知らなかったことに、はじめて気がつきました。

死が分からないということは、生がわからないということです。

 

「君は生と死について何も知らない」

(もういちど、タヌキの頭蓋骨を見せる)

彼は、そう語りかけているようでした。

 


 (自分にしか撮れない写真)

 

その後、骨と花が結びついたのは、写真家を志し、再び上京してからのことです。

 

そのころ「自分にしか撮れない写真」を探していました。

今の時代、だれでもカメラを、スマートフォンの中に持っています。

また、撮った写真を多くの人に見てもらう場所も、ネットの中にはいくらでもあります。

膨大な数の写真が、日々、発表されています。

 

そんな時代に、一体どうすれば「自分にしか撮れない写真」が撮れるだろう。

そうだ、何かを作ろう。そしてそれを撮ろう。

それなら私以外には誰も撮れない。

 

それを実現するためには、3つの問題を解決する必要がありました。

 


 (問題1 なにで作るか)

 

一つ目は、「何の材料でつくるか」

 

そこで、4年前のタヌキの体験を思い出しました。

そうだ、俺は骨の取り出し方を知っている!

骨ならあまり使う人もいないし、そして普遍的だ。

 

普遍的であることは、そのころの私にとってとても重要なことでした。

話は骨花を始めるまえにさかのぼります。

私は上野の国立博物館にいきました。

そこの展示は、時系列になっていて、宇宙の誕生からはじまり、地球がうまれ、生命がうまれ、進化していく作りになっていました。

しばらく行くと、ガラスケースに石器が展示してありました。

 

人類による、初期の道具。

すごく美しかった。

用途を超えた美しさがあった。

(石器の写真)

 

作ったひとに名前があったのかは知らない。

ただその人が、美しいものを作ろうとしていることは伝わってきました。

数万年の時を超えて、作り手の、美しく作りたいという意志を感じました。

 

おそらく、その石器をつくる同じ時間をかけて、もっと簡単な石器を複数つくれば、狩りはもっとうまくいくだろう。

にもかかわらず、狩をするという用途を超えて、その人は、美しく作る作業に熱中している。

加工を調べれば、利き腕もわかるだろう。

一心に作業しているそのひとの後ろ姿が、すぐそこに見える気がしました。

 

途方もない年月をへて、その人の作ったものに感動した。

ならば僕もまた、彼らを感動させるものを作ることができるはずだ。

言葉もなにも通じないその人に見せても通じるものを作りたい。

その体験以来、普遍的なものを作りたいと願っていました。

 

人類が、絵画や彫刻などの創造的な活動をはじめたのは、7万年前にさかのぼるといいます。

それからずっと、人類はモノを作り続けてきました。

 

骨は、人類にとって、最も古い普遍的な材料の一つです。

そしてなにより、骨は私たち自身の体を、内側から支えています。

だから、普遍的なものを探していた私にとって、「骨を使う」というアイデアはとても自然なことでした。

 


 (問題2 なんの骨で作るか)

 

こうしてすこしずつ「自分にしか撮れない写真」に近づけていました。

 

二つ目の問題はこれでした。

骨はいったい「どこで」手に入れることができるだろう。

タヌキの時はたまたま見つけましたが、骨を毎回作品に使うとなると、偶然に頼るわけにはいきません。

 

このときに調べていて知ったのが、先程話した「冷凍ネズミ」の存在です。

最初、私はその存在を知らなかったので、そんなものが売られていることに驚きました。

ネズミもヒトも同じ哺乳類なので、骨格のつくりはよく似ています。

 

当時、写真家を目指すも、いちども展示したこともなく、それどころか他人に作品をみせることさえできず、フォークリフトドライバーとして工場と自宅を往復する毎日でした。

私は人より怖がりなほうで、ホラー映画や血を見ることが苦手です。

だから最初は、冷凍ネズミに触ることに抵抗がありました。

しかしだんだんと、先が見えない状況にある自分の身を、冷凍ネズミに自己投影するようになり、むしろ親近感をかんじるようになりました。


(問題3 骨でなにを作るか)

 

さて、ネズミの骨を使うということは決まりました。

そして、最後の問題が残りました。

ネズミの骨で、「何を」作るか。

この最後のピースが揃ったのは、2008年の冬の夕暮れのことでした。

 

銀座に用事があり、四丁目の交差点に通りかかったところで、雨が降ってきました。

雨宿りに近くのカフェに入り、二階席の窓から、急に暗くなった外を眺めます。

雨脚が強くなり、黒く濡れるアスファルト

行きかう車と反射する赤いテールランプ。

駆け足の歩行者たち。

その間で、色とりどりの傘が開いています。

 

その風景は、まるで、水面にハスの花が咲くようでした。

骨でできたハスの花が水面に浮かび、花開くビジョンが見えました。

(蓮の写真)

 

そうか!花だ!

「骨で花を作って、写真に撮る」というアイデアが天から降ってきました。

 

「花」もまた普遍的です。

あらゆる文化や宗教にとって、花は美の象徴であり、生のシンボルです。

死者に花をたむける行為は、ネアンデルタール人もしていたといわれます。

また、ハスの花は、東洋では宗教的な花として知られています。

 

すぐに近くのホームセンターに駆け込み、使えそうな道具を買いあさり、家に戻りました。

 

どうしたら骨だけで、削ったりせず、花が作れるだろうか。

どう組み合わせたら、骨が、花や葉に見えるだろうか。

 

グーグルにも、骨で花を作る方法は載っていません。

すべてが手探りでした。

 

こうして、試行錯誤の末、初の骨花「ハス」を作りました。

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 (骨花の締め)

 

こうして、なにかに導かれるようにして、点と点がつながり、「骨花」を見つけることができました。

 

その後、展示の機会も増え、写真家としてよりもアーティストとして活動するようになりました。

 

骨花は、相反する要素の統合でできています。

生と死、動物と植物、美と醜、色彩とモノクローム、自然と人工、そして創造と破壊。

 

分裂した価値観を問い直し、根源的につなぎ直すことは、アーティストの重要な役目であると信じています。

 


 (また、アンナのメールのこと)

 

このスピーチも、終わりに近づきました。

さあ、話を最初にもどしましょう。

 

2017年3月、アンナからのメールを受けた私は、たくさんの疑問を抱えて返信しました。

「まずはあなたのことを知る必要があります。あなたの人生を知らずにアート作品を作ることはできません。…よろしければ、あなたについてもっとお聞かせいただけませんか?」

こうして私たちはメールの交換をはじめました。

 

イギリス人女性アンナは、常にドナーカードを携帯しており、骨もまた役立てたいと考え、ネットで私のアートを知り、連絡してきたそうです。

私よりも若く、作家として2冊の本も出版しています。

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国籍も信仰も性別も異なる私たちは、多くの考えを交換し始めました。

生と死について。これまでの経験について。想像力のパワーについて。

そして、幼少時の思い出から現在の瞬間まで、互いが見て、聞いて、感じたことなどの視点を共有することを試みました。

 


 (広げる)

 

そしていま、私たちはこの取り組みを、さらに他の人にも広げたいと考えています。

死んだら、花のアートになる。「You become the art」

新しい弔い方としての「骨花プロジェクト」です。

 

そのために、2019年からは、某光学機器メーカーと「骨の3Dプリンター」の共同開発を始めました。

「火葬後の骨の粉末を、手で壊せる固さで、土に還せる硬化剤で、立体造形できる3Dプリンター」の開発を目指しています。

この装置があれば、ひとの骨で、レースのように薄くて繊細なディテールをもった美しい花を作ることができます。

 

アンナは、ポピーの花になりたいと言っています。

 

(写真)

 

人はみな規格品ではありません。

人生はみな違います。

ならば、弔いにも、いろんな形があっていいと思いませんか?

 

現代社会には、死や病いをネガティブなものとして覆い隠そうとする風潮があります。

葬式の形式も、古い宗教や伝統に縛られたままです。

死にはいまだ、多くのタブーが存在します。

 

私たちはそれを「アート」で解放したい。

もっと美しく、もっとポジティブで、もっとセクシーな、自己表現としての死。

それはとてもやりがいのあるチャレンジだと信じています。

 


 (最後に)

 

最後に、私の好きなアンナの言葉で、このスピーチを終えたいと思います。

「Much of what we do is motivated by short-term gain, whereas art can provoke us to think beyond our lifetimes. 普段私たちがやっていることの多くは、短期間の利益を動機としています。しかしアートは私たちに寿命を超えた思考をもたらしてくれます。」

 

ありがとう。

 


 

以上です。

いかがだったでしょうか。

感想、助言、いただけると励みになります。

 

ご覧いただきありがとうございました。

http://honebana.com/